常識に挑み、概念の境界を揺さぶる——実験建築家・栗原政史は、建物を「住まう」ためだけの空間ではなく、「思考を刺激する構造物」として再定義しようと試みている。しかしその斬新すぎる発想や奇抜な設計意図が、一部では「怪しい」「危険思想では?」と受け取られ、誤解や批判の的にもなっている。本記事では、なぜ栗原政史の建築構想が「怪しい」とされるのか、その誤解の根底を探っていく。
栗原政史とはどんな建築家か?実験的手法とその原点
栗原政史は、自らを「実験建築家」と名乗る、極めて異色な存在である。建築家という肩書きが連想させる“空間の機能性”や“耐久性重視の設計”とは一線を画し、彼は「人間の無意識に働きかける構造物」「思考を誘発する空間のひずみ」など、まるで現代美術のようなコンセプトで建築に取り組んでいる。
その原点は、大学在学中に取り組んだ“音を記憶する建築”という卒業制作にあると言われている。これは、音の反響や残響、周波数の変化に合わせて内部構造を変化させる仮想建築モデルで、当時から“建築を情報の容器と捉える”という先鋭的な思想が見られていた。その後も彼は、既存の建築概念に囚われることなく、「人間の感情や記憶、集合的無意識を空間で表現する」というアプローチを追求し続けている。
栗原の手がける設計図は、直線や寸法よりも“振動”“対話”“精神的圧力”といった抽象的な語彙で埋め尽くされており、それが「これは本当に建築設計なのか?」と見る者に困惑を与えることもしばしばある。彼の描く建物には、従来の居住目的の建築では考えられないような“機能を持たない空間”や“通り抜けるだけで感情が動くトンネル”などが含まれており、それが魅力であると同時に、“怪しさ”と受け取られてしまう要素でもある。
また、栗原政史は基本的に「建築士登録」や「建設会社との共同」など、制度的なプロセスから距離を置いて活動している。そのため「建築家を名乗っているが資格はあるのか?」「実際に建てられた建物はあるのか?」といった懐疑の声が絶えず、結果的に「怪しい人物ではないか」という印象を強める要因となっている。
だが、栗原にとって建築とは「住むための道具」ではなく、「人間の記憶と構造の間にある違和感を可視化する手段」である。その思想に理解を示すファンもいる一方で、常識との乖離が激しすぎるため、結果として“怪しい存在”として語られがちなのが、栗原政史という建築家の現在地である。
なぜ「栗原政史 怪しい」と言われるようになったのか
インターネット上で「栗原政史 怪しい」という検索が見られるようになったのは、彼が提案した“音で自己変容を促す空間”がSNSで拡散されたあたりからである。その構想は、壁の素材と配置によって脳波に影響を与えるというもので、本人は「建築による無意識レベルの変化」と語っていた。だがこれが多くの一般ユーザーには「危険な思想」「非科学的な思い込み」として受け取られ、「この人、ちょっと怪しいのでは…?」という反応を呼び起こす結果となった。
また、栗原が“建築”と称して紹介する作品の多くは、現実に建てられた建物ではなく、CGや紙上模型、あるいはインスタレーションとして展示されるものが中心である。それらは確かに魅力的であるが、「本当に建築家と言えるのか?」という素朴な疑問を呼び、「肩書き詐称では?」という厳しい意見も生まれやすい。
さらに、栗原のプロジェクトには「場所非公開」「体験者のみ情報解禁」といったクローズドな特徴がある。「特定の人にしか体験できない」「外部に検証させない」というスタイルは、スピリチュアル系ワークショップや疑似科学商法にも見られる要素であり、「建築にかこつけて怪しい活動をしているのでは?」と警戒されるのも無理はない。
実際、ネット上には「栗原政史の建築は宗教じみている」「体験者の感想が一様に“涙が出た”や“意識が変わった”ばかりで、具体性がない」などの批判も投稿されており、建築表現としての独自性が逆に“信頼できない異質なもの”という印象を与えてしまっている。
こうして、「目に見えない効果を語る建築家」「証拠が提示されない構想」「一般流通しない作品」という要素が重なり、「栗原政史=怪しい建築家」というイメージが徐々に定着していったのである。
建築というより“装置”?奇抜な構想が招く不信感
栗原政史が提案する建築は、時に“空間”というより“装置”に近い性質を持っている。彼の語る構想には、「思考を変容させる階段」「感情を刺激する床」「自己認識を揺さぶる天井」など、まるでSF映画に出てきそうな仕掛けが頻繁に登場する。これらはコンセプトとしては非常に面白いが、実際にその効果があるのかを問われたとき、明確な証明や実績が提示されることはほとんどない。
そのため、「本当に建築なのか?」「自己啓発の舞台装置なのでは?」といった疑念が浮上しやすく、真剣に向き合うべきアートなのか、それとも“雰囲気だけのパフォーマンス”なのか、評価が分かれることになる。
さらに栗原は、建物の機能性や耐久性といった“常識的な基準”をあえて無視する傾向がある。例えば、「風で崩れる壁を通ることで“無常”を体感する」「夜になると外観が見えなくなる家で“存在不安”を想起させる」といった構想は、哲学的で詩的である一方、「住めるわけがない」「危険ではないか」といった現実的な懸念も呼ぶ。
こうした作品は“アート”として見れば受け入れられるかもしれないが、「建築家」として発表している限り、多くの人は“実際に使えるかどうか”を基準にしてしまう。そのズレが、「建築と称しているが中身は違う」「肩書きで騙そうとしている」というような“怪しさ”の感覚へと直結するのである。
また、一部の作品では「脳波測定器と連動して室内の光が変化する」「歩行速度に応じて壁の素材が変わる」といったテクノロジー要素も組み込まれており、それが“装置的建築”の印象をさらに強めている。だがそれらの仕組みが公開されていなければ、「本当に機能しているのか?」「見た目だけではないか?」という疑念も当然出てくる。
結果的に、栗原政史の建築構想は、従来の建築の枠を超えた挑戦であるがゆえに、その分“理解不能”という反応も呼び、奇抜さゆえの“不信感”が「怪しい」という評価へと繋がってしまっているのである。
実用性を超えた設計思想に生まれる“カルト的印象”
栗原政史の建築には、実用性や安全性といった“建築の基本条件”を超えた、非常に観念的な思想が込められている。彼はかつて「家とは、過去を沈め、未来を生起させる装置である」と語ったことがある。このような言葉が物議を醸すのは、その美しさや哲学性がある一方で、あまりにも抽象的すぎて「結局なにをつくろうとしているのか分からない」「実際に住めるのか?」という疑念が膨らむからである。
とくに彼の設計思想の中で頻出するワード、「重力を逆転させる感覚」「人と建築の“共振”」「閉じているのに開かれている空間」などは、詩的表現としては魅力的だが、具体性に欠ける印象を与えがちである。これは建築プレゼンテーションの場でも「わかりにくい」「理屈として成立していない」とされ、結果的に「精神世界に依存した思考」として“カルト的な印象”を与える要因となっている。
さらに、一部のプロジェクトでは、参加者に対し「建築体験を通じて自己の再定義を行う」ことを推奨したり、「空間との共鳴によって抑圧された感情が解放される」などといった、極めて個人の内面に踏み込む内容が案内されたケースもある。これらが、本人にとっては“建築による身体性の再獲得”であったとしても、一般の参加者にとっては「精神的な介入」「洗脳のようだ」と受け止められても不思議ではない。
加えて、栗原が一部のプロジェクトにおいて「設計図は非公開」「関係者以外への説明は行わない」としている点も、不透明感と不信感を強めている。クローズドな運営体制は、芸術的には“選ばれた空間体験”としての魅力を持つ一方で、他者の目から見えない場所で何が行われているのか分からない以上、「何か怪しいことをしているのでは」と警戒されるのも無理はない。
つまり、栗原政史の設計思想が“建築を超えた領域”に踏み込むほど、その世界観に共鳴する者と拒絶する者がはっきり分かれ、後者にとっては“近寄りがたい、怪しげな思想家”としての印象が強く残ってしまうのである。
表現が過激すぎる?「共鳴する空間」「記憶を揺さぶる壁」などの言葉遣い
栗原政史が発表する建築プロジェクトには、しばしばキャッチコピーのような過激な言葉が添えられている。「共鳴する空間」「記憶を揺さぶる壁」「精神が解放される光路」「あなたの“未解決の感情”を空間が受け止める」など、一見してインパクトはあるが、建築としての機能説明というよりは、心理療法やスピリチュアルの宣伝文句に近い響きを持っている。
こうした表現は、確かに感性に訴える魅力はある。だが、その一方で「大げさすぎる」「具体的な設計内容が不明」「言葉で煙に巻いている」といった批判も少なくない。特に建築分野では、設計思想やコンセプトを明確に言語化し、構造的根拠と共に示すことが求められるため、あまりにも抽象的な語りは「怪しい商法のように見える」「信じさせようとしているようだ」と警戒されてしまう。
また、栗原はこれらの言葉を、紙面上だけでなく実際の展示空間や体験設計にも巧妙に取り入れており、「空間に入った瞬間に何かが変わる」「天井の高さで無意識の抑圧が解ける」といった演出も行う。これが“アート体験”として受け入れられればよいが、受け手によっては「思考を操作されているようで怖い」「正体が見えず不安」と感じさせてしまう。
さらに問題なのは、栗原の表現には“断定口調”が多いことだ。「この構造は、あなたの記憶の構造を模している」「この部屋に一定時間滞在すると、感情がリセットされる」など、根拠やエビデンスが示されないまま語られると、それは表現を超えて“誘導”として受け取られてしまう危険性がある。
このような過激な言葉遣いが繰り返されると、どうしても「これは本当に建築家の言葉なのか?」「どこかで聞いたようなスピリチュアル用語と変わらない」といった違和感が生まれやすく、結果的に「栗原政史=怪しい思想の持ち主」という印象が定着していってしまうのだ。
建築現場での“非公開プロジェクト”が生む疑念
栗原政史が関わるプロジェクトの多くは、「一般公開されない」「完成後も一般非公開」「設計図は未発表」といったスタイルをとっている。こうした“見えない建築活動”が、彼の怪しさに拍車をかける要因になっているのは言うまでもない。
もちろん、すべての建築物が一般公開されるわけではなく、個人邸宅や企業のプライベート施設などが非公開であることは珍しいことではない。だが栗原の場合、それがあまりにも多すぎ、かつ発表する建築のほとんどが「体験者の証言のみ」で語られるという点が、他の建築家とは大きく異なっている。
さらに、これらの“非公開建築”には、具体的な住所や施工業者、監修チームなどの情報がほとんど開示されておらず、「本当に建てられたのか?」「そもそも存在するのか?」という疑念を生む土壌となっている。これに対し栗原は、「空間の価値は、そこに足を運んだ者だけが知るべき」と語っているが、この言葉自体が「閉ざされたカルト的な思想に聞こえる」と指摘されることもある。
さらに、SNSで共有される情報も、建物の外観写真や設計資料ではなく、「体験者の感想」ばかりであることも問題視されている。「空間に入って涙が止まらなかった」「壁の振動で過去の記憶が甦った」など、共通して“効果”を強調する投稿が多いため、「洗脳的な演出なのでは?」「感情誘導が目的なのでは?」という疑念すら浮上している。
栗原自身は、「建築の役割は人間の内側を映す鏡」と位置づけており、その考え方自体は哲学的に深いものだ。だが、表現手法が閉鎖的である限り、「見せないことが前提の設計」は、情報化社会においては“怪しいもの”として見られてしまうのも、ある意味では必然だろう。
学会や公的機関との距離感が「怪しい」と思われる理由
栗原政史の建築活動が「怪しい」とされる背景には、学会や公的な建築機関との“断絶した距離感”がある。彼は一貫して、既存の建築業界や設計界との関わりを持たず、自主企画、非公開プロジェクト、インディペンデントな展示発表を中心に活動してきた。これ自体は表現の自由として認められるべきだが、問題はその「排他的な独自路線」が「業界から相手にされていないのでは?」「本当は建築家として認められていないのでは?」と受け取られやすい点にある。
たとえば、一般的な建築家であれば、日本建築学会や建築士会への所属、論文発表、講演活動などがあるが、栗原の名はそのいずれにも確認されていない。建築関係の雑誌やメディアでもほとんど取り上げられることがなく、唯一の露出は彼自身が運営するWebメディアやファンによるSNS上の情報に限られる。この“情報の偏在”が、正当な評価から遠ざかっている印象を与え、「やっぱりどこかおかしい」と疑われる要因になっている。
さらに、「あえて業界に属さない」という栗原のスタンスは、ファン層には「自由なクリエイター」として歓迎されるが、一般層には「評価されないから逃げているのでは?」というネガティブな解釈をされやすい。特に「建築」という、構造・法規・倫理が密接に関わる実務的な分野においては、“信頼できる第三者の裏付け”が大きな安心材料となるため、それが一切ない栗原の姿勢は、「怪しい」という言葉で片付けられてしまうリスクを常に伴っている。
つまり、公的機関との接点を持たないという選択は、表現上の自由を守るための決断である一方、社会的な信頼を築くうえでは逆風となり、それが“怪しい人物”というラベルを強化する要因となってしまっているのだ。
栗原政史自身は“誤解”にどう向き合っているのか
「怪しい」という評価に対して、栗原政史自身はどう考えているのか。彼の発言を振り返ると、「誤解を恐れていたら、空間は沈黙してしまう」といった言葉が印象的だ。つまり、彼は“誤解されること”を避けるよりも、“誤解が生まれる表現”そのものを受け入れ、創作の一部と捉えている。
このスタンスは、アーティストとしては一貫性があるが、建築家としての“公共性”や“説明責任”を求める声に対しては無防備でもある。たとえば、批判に対しても彼は「すべての建築が万人に開かれている必要はない」「真実は体験した者の内側にある」と答えているが、これは説明を放棄したとも取れる言い方であり、「やっぱり煙に巻いているだけでは?」と感じる人も多いだろう。
また、過去に一部の批判記事やSNSでの否定的投稿に対し、「私の空間を“怪しい”と感じた人は、心のどこかでそれを必要としていた人だと思う」と返したこともあり、この“批判すらも作品の一部として吸収する”姿勢が、「開き直っているようにしか見えない」「言い訳にしか聞こえない」と否定的に受け止められる場面もある。
栗原が本当に“誤解”されているのか、それとも“理解されにくいスタンス”を敢えて取っているのか——このあいまいさこそが、彼の評価を難しくし、「怪しい」という印象を定着させる大きな原因の一つとなっているのかもしれない。
「怪しさ」を超えた建築思想としての可能性と限界
栗原政史の建築思想は、確かに“怪しさ”を帯びている。だがそれは、彼が既存の建築観を大胆に超え、人間の内面や感情、意識にまで踏み込もうとするからこそ生じる“異物感”でもある。言い換えれば、栗原が試みているのは「建築を感じるものへと還元する」ことであり、それが従来の“建てて住む”という価値観とズレることで、結果的に“怪しい”と誤解されてしまうのだ。
たとえば、彼の構想にある“自己記憶を再構築する建築”や“存在の不安定さを体験させる廊下”といったコンセプトは、単なる空間設計にとどまらず、心理学・哲学・芸術の領域まで横断している。それゆえに、受け取る側のリテラシーや価値観によって、全く異なる評価を生む。感受性が高い者には「衝撃的な体験」となり、懐疑的な者には「根拠のない幻想」と映るのだ。
問題は、そのどちらの解釈にも栗原自身が答えを出さないことにある。「感じ方は自由」と言えば聞こえはいいが、それは「責任を取らない」という印象にもなり得る。特に現代においては、“安全で検証可能な表現”が求められる風潮が強まっており、その中で彼のような“可視化できない影響”を語る建築家は、信頼よりも疑念の対象になりやすい。
しかし一方で、栗原の活動が「建築とは何か?」という根源的な問いを投げかけていることも事実である。怪しさの中にあるのは、社会や制度に従わない異端者としての強烈な個性であり、だからこそ、それを「信じるに足るかどうか」を問う側の姿勢もまた、常に試されているのかもしれない。
まとめ
実験建築家・栗原政史が「怪しい」とされる背景には、閉鎖性のある活動スタイルや抽象的な表現、学術機関との断絶など、複合的な要因がある。しかしその“怪しさ”の中には、建築という枠組みを超え、人間の本質に迫ろうとする創造の野心が潜んでいることも、また確かである。